
7月3日の日経新聞に掲載されていた田園都市と多摩に関するニュースをご紹介したい。
今年の9月2日、東京急行電鉄(東急電鉄)は前身である田園都市株式会社の創業から100周年を迎える。かつての憧れの住宅地「田園都市」を実際に歩いてみると、シートで覆われた空き地や雨戸を閉め切った家が目立つことに気付く。不動産業者は「駅から遠くて売れない」と漏らす。
鉄道事業の源泉だった田園都市に、いったい何が起きているのか。
田園都市株式会社は、渋沢栄一氏が過密な都心から離れて自然に親しめる住宅開発を狙い、1918年に設立した。同社から独立した目黒蒲田電鉄が1928年に田園都市株式会社を吸収合併し、現在の東急グループに至る。田園都市株式会社は東急の源流となる組織なのである。
渋谷駅から東急田園都市線で20分強のたまプラーザ駅(横浜市)。徒歩約20分、美しが丘と呼ばれる緑豊かな宅地が広がる。
1966年に田園都市線が開通すると、たまプラーザ駅の開設とともに美しが丘の分譲が始まった。80年代のテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」の舞台でもある。世帯数は約6000で、100坪を超える邸宅も多く、都心の高級物件にひけをとらない家が目立つ。だが、売れないのだ。
60歳代のある男性家族が田舎で余生を過ごすために数十坪の宅地を売りに出した際も、近くに公園やコンビニなどがあるにもかかわらず買い手がなかなかつかず、売却までに半年かかってしまった。
開発から50年、住民も同じように年齢を重ねた。1区画が広く、売値は1億円を下らない。土地の分割や空き地も少なくない。「駅から遠く、坂道が多い場所は好まれにくい」(地元の不動産関係者)。
横浜市によると、美しが丘がある青葉区の65歳以上の高齢者は12%と、全国水準の19%(2015年)と比べ7ポイント低い。ところが2035年には高齢化率が33%と全国水準を大きく上回る。
東急がまとめた推計調査をみると、沿線人口のピークは2035年で、その時点の高齢者は15年比32%増える見込みだ。
東京近郊では既に多摩ニュータウンや高島平団地の高齢化が問題になっている。だが、東京大学・都市工学専門の中島准教授は田園都市、多摩について「急速な高齢化がこれほど広大なエリアで進むということはかつてない」と指摘する。
そもそも田園都市、多摩が駅から遠い理由には、街の構造に共通点がある。駅前には公団や団地などの集合住宅が多く、それを取り囲むように戸建ての住宅地が配置されている。
沿線はもともと丘陵地で、人はほとんど住んでいなかった。人を連れてきて定住してもらう必要があるが、東急だけで宅地を分譲するには限界がある。そこで東急は当時の日本住宅公団(現都市再生機構)などを誘致したのだった。公団は中高層の集合住宅に強く、人口が一気に増えるのも魅力だ。
誘致の条件として駅前の好立地を与えたため、東急が開発・分譲する田園都市、多摩の宅地はおのずと駅から遠くなった。
古くから田園都市、多摩に住む人々は、駅前の集積から取り残されるのを恐れている。
東急は2010年にたまプラーザの駅舎をリニューアルし、大型商業施設も併設した。それにより駅前は家族連れで活気があるが、にぎわいは駅前が中心となっている。
横浜市と東急は、たまプラーザ駅周辺を郊外再生のモデル地区にも指定している。駅前への住み替えを促したり、住民の交流を支援したりして再生に取り組んだが、対策が十分とはいえない状態が続いている。
2018年3月までの7年間、東急社長を務めた野本弘文氏はヒカリエに代表される渋谷駅前の再開発や二子玉川の駅前開発などを手掛けた。バブル期の財務悪化による緊縮路線から成長路線を取り戻すかじ取りを期待されていた。
再成長に向けて東急が重視したのが、駅前やターミナルに自前のオフィスビルを建てる再開発だった。
この過程で田園都市、多摩の改革は後回しにされた感がある。それでも先に述べた美しが丘などはモデル地区として問題解決の対象となっただけ救われている。田園都市や多摩のほかの地区の対策は遅れている。
渋谷駅前では東急が新規の設備投資の半分近くをつぎ込む超高層ビルが計7カ所建設中だ。
2万人ものオフィスワーカーが渋谷に集まれば、居住地として田園都市線も選択肢にあがる可能性がある。渋谷の再開発が完成するのは2027年度。そのころ田園都市はどう変化しているだろうか。
ニーズが「駅近」になってきていることが分かる記事だったのではないだろうか。
特に投資としてのマンション経営を考えた場合、どのような立地を選べばよいのか明確になりつつある。
たとえば渋谷の再開発がすべて完成した時、ニーズは遅延で有名になってしまった田園都市線沿線に戻るのか否か?
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