東京・銀座は日本の景気を映す街。オープンから43年を迎えるクラブ「あし田」は昭和から平成、そしてまた次の世へうつろう「会社員の夜」を見つめてきた。
ママの芦田宙佳さんは「バブル景気真っ盛りには、週末、ヘリコプターの送迎でお客さんとゴルフに行くなんてこともよくありました」と言う。商社、銀行、メーカーなど。店には幅広い業種の背広姿の男たちが夜毎に通ってきた。そのほとんどは会社の経費を使った接待。芦田さんは「ゼネコン関係者なんかは毎日2組は来ていた」と振り返る。
バブル期と落差
「金額は気にしなくていいs。相手を喜ばせろ」。当時、商社で営業の最前線にいた男性(68)はこんな指示を受け、毎週クラブに取引先を連れ出していた。時には億単位の商談がその場でまとまったと言う。その男性は「仕事は昼より夜が勝負。成功するイメージしか湧かなかった」という。
1991年、企業交際費は6兆円を突破し、銀座をはじめとする夜の街は活況を呈した。その分、バブル崩壊後の落差は大きく、長く続いた不況で、銀座のクラブは苦境に立たされた。
2000年代に入り、IT企業の社員が新しい客層に加わった。接待というよりは仲間内の社交の場。芦田さんは「Tシャツと短パンに驚いて、入店を断ったこともある。クラブ文化の転換点だと感じました」と話す。
リーマン・ショックと東日本大震災は、企業に一層の経費削減を促し、11年度の企業交際費は2.8兆円まで減少。その後はやや回復傾向にあるものの、16年度も3.6兆円とバブル期の水準からはほど遠い。
大手メーカーの男性(32)は「クラブで接待なんて想像もつかない」。今は50代になった先輩から時折、往年の自慢話を聞くことがあるくらい。「湯水のように経費が使えた上司がうらやましい」と苦笑する。
昼は週3で牛丼
視点を転じて現代の東京・新橋。平日正午すぎ、牛丼チェーンがスーツ姿の会社員であふれかえる。「週に3回は牛丼並盛り。それ以外はコンビニ弁当。味気ない」と製薬メーカーで営業担当の男性会社員(50)。東日本大震災が起こるまでは同僚と1千円程度のランチを楽しむ時があったが「もうそんな余裕はない」という。
新生銀行が発表した「2018年サラリーマンのお小遣い調査」によれば、男性会社員の昼食代は平均570円。1992年の746円と比べると、かなり寂しい。
1960年代から「名代 富士そば」を運営するダイタングループの丹道夫会長(82)は「新聞を左の脇に挟んだまま割り箸をくわえて割る。そして食べ始めて3分で店を出るのがバブル期のサラリーマンのスタイルだった」。誰もが膨れに膨らんだ金に踊っていたあのころ、ゆっくりそばをすする人はいなかったという。
近年は女性客も増え、イスの設置を進めたと言う。富士そばでは今、ほとんどの客がイスに座って食事を楽しむ。昼食時間も平均10~15分に延びたそうだ。丹会長は言う。「モーレツだけがいいわけじゃない。今の時代、せめて昼食の時間くらいは、ゆとりがあってもいいのでは」と語った。