東京の街レポート|第26回 世田谷区の特徴「低就業率」

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東京の街コラム|第26回 世田谷区の特徴「低就業率」

低就業率が示す 世田谷区に多い「高所得世帯」と「専業主婦」

高所得世帯と専業主婦

東京23区の西部にある世田谷区は、区内で最大の人口、面積も大田区についで2位と大きな区です。
23区の西側にあり、戦後の鉄道路線拡大に伴い住宅地として発展してきました。

世田谷区の昼間の人口と夜間人口を比較すると、この区では夜間人口の方が多くなっています。
オフィス街が集中する「働く場所」の代表、港区は昼間の人口が夜間人口を上回っていますが、世田谷区は「働く場所」というよりも「住む場所」であることを示しています。
そして2011年度の区別の所得水準ランキングは5位。
経済力のある人たちが、広く環境の良い郊外でゆったりと生活を楽しんでいる様子が想像できます。

それを裏付けるデータがあります。
世田谷区民の就業率を見てみましょう。
高齢者就業率は11位、シルバー人材登録率は22位です。
働いていない高齢者たちの中で就労意欲がある人は少ないことがわかります。

そして女性の就労状況ですが、既婚女性35~45歳の就業率は、全国平均60.7%に対して東京23区平均が56.1%、世田谷区は23区で最低の51.8%です。

働く高齢者が少なく専業主婦が多いことから、生活に余裕のある高所得層の世帯主が多く集まった区であると言えるでしょう。
このような住民が集まるようになった背景を紹介します。

鉄道路線開発と関わりが深い世田谷区発展の歴史

現在の世田谷区周辺は、明治時代頃は農村があちこちにあったと考えられています。

明治時代末期、明治40年に玉川電気鉄道が開通しました。
区間は道玄坂上~三軒茶屋でしたが、同年中に渋谷から現在の二子玉川までが開通、人々の交通の足としてだけでなく多摩川で採取された砂利を土木建築目的で利用するための運搬の手段として活用されました。
そして玉川鉄道会社は明治42年に玉川に遊園地を建設、乗客の誘致活動を積極的に開始しました。
世田谷区の発展の歴史はこのようにして始まりました。

その後鉄道路線は、都心開発に伴うコンクリート需要に対応すべく路線を増やしていきました。
昭和10年前後には土木事業向けの砂利輸送も終了し、戦後を経て自動車の台数が爆発的に増えて道路が拡張した昭和44年は、路面を走っていた電車路線は廃止されることもありましたが、残された区間は営業を続け、渋谷~二子玉川園区間は昭和52年に新しい路線として生まれ変わり、地下鉄との相互直通運転も始まりました。
これにより都心から渋谷経由で二子玉川園に出て、乗り換えて多摩田園都市へ向かうことができるようになり、都心で働く人たちの住む場所としての役割を担うようになりました。

このような鉄道路線の開発と並行して、東京23区は明治以降再編を繰り返しました。
そして世田谷区周辺では、他の鉄道路線も次々と開通していきます。
大正から昭和初期にかけて京王線、小田急線、大井町線、井の頭線などが開通しました。

戦後以降の女性の社会参加状況

女性の社会参加状況

ここまでは交通アクセスの視点から世田谷区の発展を紹介しました。 次に、世田谷区に住宅が建ち始めた戦後から現在に至るまでの、女性の社会参加の歴史を辿ってみましょう。

昭和20年(1945年)に終戦を迎えてすぐ、20歳以上の女性の参政権が認められました。
そして昭和22年(1947年)、男女平等を保障した日本国憲法が施行されました。
この頃は、世界的に見ても女性の地位向上への取り組みが盛んに行われた時期で、同じ年に国連に婦人委員会が設立されています。
1967年の国連総会で「婦人に対する差別撤廃宣言」が採択され、1972年が「国連婦人年」とされました。
日本でも世界の動きに添う形で、女性への社会進出を促す法整備などが進んでいます。

1975年には女性教師、看護婦、保母などの育児休業法が成立、1985年に日本で「女子に対するあらゆる差別撤廃条約」が発行されました。
これに伴い男女雇用機会均等法が公布され、1990年以降、男女の昇格差別や性的差別をなくす取り組みが進められています。

このような社会の動きに伴い、戦前までは「子どもを生み育てるのが女性の役割」といった意識は、徐々に変化していきました。
2005~2009年の出産後継続就業率は26.8%となっています。
数字は決して高いものではありませんが上昇傾向にあります。
出産後も働き続ける女性は、子育てと仕事と家事を両立させるために、都市に住むことを選ぶ傾向があります。
世田谷区は23区の中で都心から離れた郊外にあるため、子育てしながら働く女性の割合は低くなっています。

世田谷区住民の人生観

世田谷区住民の人生観

戦後以降、これまでの家庭のあり方や働くことに関しての考え方は大きく変わろうとしています。
現在世田谷区に住んでいる人たちの意識はどうでしょうか。

配偶者がいる女性の就業率をみると、35~45歳代の有配偶女性の就業率は全国の60.7%に対して世田谷区は23区内でも最低の51.8%です。
そして2014年の世田谷区の待機児童の発生率は7.8%、13人に1人の割合で23区内で最も待機児童数が多い区となっています。

これらの二つの数字は「働きたくても働けない」ことを示しているというより、「預けてまで働く必要もさほどない」というのが、世田谷区の特徴です。
それは、平均年収が23区内第5位にランクインされていることからもわかります。
このような女性の就業率が低い区は23区の西部に集中しています。

戦後まもなく、鉄道路線が発達して多くの人が移り住んだこの時期、女性の社会参加がまだほとんどなく「結婚すれば仕事を辞めて家庭に入る」のがあたり前という考えが主流を占めていました。
夫が定年まで同じ会社で勤め上げて家族を養い、定年後は年金と貯金で妻と優雅に暮らすという昭和スタイルの人生観を持った世帯が多くなっています。
そのような家庭観を持った人たちから、その子供達、次世代へと世田谷区の住民は入れ替わっている途上にあります。

親から豊かな暮らしをさせてもらい、高学歴で卒業、就職し、自分たちも所得が多い職業に就き、広く環境が良い場所でゆったりと休日を過ごす。
働かずに子育てだけに専念するというのが、世田谷区での生き方の主流となっています。

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