東京の街レポート|第31回 東京の田舎、練馬区

お問合せ・運営会社

東京の街コラム|第31回 東京の田舎、練馬区

単なる「田舎」とは言わせない練馬の2大産物とは

練馬の2大産物

練馬区は、1947年8月、22区制だった頃の板橋区から分離独立して発足しました。
23区内で第5位の面積と第2位の人口を有する練馬区は東京の西北部にあり、23区内でも最も標高が高い場所にあります。
現在も農園が数多くあることから、「みどり豊かな区」のイメージを描く人が多いのですが、農地ばかりでなく公園なども多い区です。

緑の多い練馬では、農業が主要産業の1つです。
2013年1月現在の農地面積は23区中1位の240ha、この広さは23区全体をあわせた607haの4割近くになります。
農家の数は372戸でこれも1位ですが、経営耕地面積は0.3ha以下の農家が33%、農業収入額も0~49万円までという農家が約4割、500万円未満が約9割というデータを見れば、大規模な農業を行っている人は少ないことがわかります。
そして1975年に農地面積が746ha、農家数が1342戸あったことを考えれば、農業は衰退していることは明らかです。

農業の他に練馬の知名度を上げたものには、アニメがあります。
この練馬には、90社以上のアニメ関連企業や大学の芸術学部、音楽大学もあります。
都心へのアクセスが便利、緑豊かな環境、家賃が安いことなどが、漫画家を志す人たちの住まいさがしの条件に当てはまり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。

農業とアニメの2大産業が昔も今も練馬を支えています。

「練馬大根」にみる練馬の農業の発展と衰退

農業はその地の特産物がブランドとなることが多いのですが、かつて練馬にも練馬を代表する野菜「大根」がありました。
「練馬大根」は、江戸時代より生産が盛んに行われており、明治時代に入り、日清戦争や日露戦争によってその需要が高まり国内外にその名前が知られるようになりました。

大正時代に入ると首都東京へ人口が集中するようになります。
この頃から、練馬エリアが都心を消費地とした農産物の供給地となり、年々その役割を高めていくことになりました。
大根の生産も、この頃盛んに行われています。
鉄道の開通で流通が活発化したことで、練馬の農業は拡張期を迎えました。
練馬大根の最盛期は明治末期から昭和初期にかけての約25年間と考えられています。

昭和に入り戦争が終結すると、それまでたくあんの大口納入先だった軍の解体に伴い、大根の生産は減少し始めます。
大根の収穫は重労働だったこともあり、農家は大根からキャベツへと生産の主体を移行していきました。
現在、練馬では大根はほとんど生産されていません。

農地面積は昭和50年の745.6haから減少し、平成24年度現在では、3分の1以下の239.8haになりました。
練馬区内の農家戸数・農業従事者は昭和50年1,342戸、7,232名から、平成24年には498戸、1,075名に減っています。
現在の練馬の農業産物を面積で比較しますとキャベツを含む野菜類が15,776 ha、カキ、ブルーベリー、ブドウなどの果樹類が3,191 ha、その他の植物が3,549 haとなっています。
平成23年度の東京都区別の土地利用面積資料によれば、練馬区の農用地利用率は区全体の面積の5.1%で第1位となっています。
23区内で最も農業が盛んに行われているとはいえども、全体としてその規模は縮小しています。

観光資源や体験授業の場として転換を図る練馬の農業

練馬の農業

農産物の出荷量や作付面積は減少しましたが、練馬区ではこれまで培った農業のノウハウや今ある人材を活かし、観光資源として農業を活かす試みが行われています。

例えば牧場や農園に観光客を呼び込み収入につなげるといった方法です
。 大都会東京に近い利便性を活かし、現在練馬区内には約30ヶ所のブルーベリー観光農園があります。
「農の観光化」を行い他の地域から多くの客を呼び込むことは、練馬が生き残る手段の1つとして注目されています。

また小学校の総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を小学校に積極的に開放して、次世代に向けて農業を積極的にアピールすることも行っています。
田植え体験やカキやキーウイの樹木の選定、授粉、収穫に至るまでを体験してもらい、子供達に農業への関心を高めてもらう活動や、小中学校の給食で出た野菜くずや食べ残しなどを肥料へリサイクルする事業が行われています。

練馬区の活性化のカギを握るアニメ産業誘致活動

練馬区の活性化

日本のアニメーションはその技術やソフトの両面で海外から高い評価を受けるようになりました。 練馬区は、「アニメ・イチバンのまち」としてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。

区内にあったアニメ製作所が国内初のアニメーションを制作したのを皮切りに、1963年のアニメのテレビ放映開始が始まりました。
当時の漫画作家や後に有名になった漫画家たちは、その大半が練馬区で制作活動を行っています。 現在も90社以上の関連会社が練馬に集結しています。

練馬区では区が主体となり、アニメ産業を戦略的に強化する方針を打ち出し、多数のアニメ関連産業を誘致して区内産業全体の活性化を図る活動を行っています。

最新東京の街コラム

↑ PAGE TOP

上に戻る